以前に化学メーカー営業マンで苦労することなど何一つないと書きましたが、嘘でした。
実は一度だけ経験したことのある、苦労を通り越して、つらくて血へど吐きそうになった経験の話をしようと思います。
就職活動生や転職者が化学メーカーの志望動機を語る前に、こんな仕事内容をイメージしてみてください。
明らかに売れない商品を無理やり売ること
この商品がどういうものだったか…
エチレンや塩ビなどのコモディティーではなくマニアックなスペシャリティー商品なのですが、開発力・営業力・特許戦略など、あらゆる面で競合他社が強すぎて、当社のマーケットシェアが数%しかないという商品。
北斗の拳に例えるとケンシロウとアミバくらい、実力に開きがありました。もちろん当社がアミバでライバルがケンシロウです。
それでも何か当社ならではの特徴があれば良いのですが、全く特徴なし。品質も安定していないし、製造コストも世界一高いので価格勝負もできない。
社内でも全く重要じゃない商品、注目されない商品。お荷物事業。
どんな素人が見てもこの商品が全く売れないのは明らかでした。
ダメ商品の担当営業マンになってしまう
しかし突然、私は上司から「この事業をなんとかしろ!」と命令されたのです。こんなどうしようもない商品は、なぜか私のような特攻隊キャラにあてがわれるという宿命。
営業マンにとって、お客さんに何も役に立たない商品を売り込むことほどつらい仕事はありません。
お客さんに役立たない商品を売り込むつらさ
もはや、押し売りの世界。
激務だといわれる住宅や保険の営業マンでさえ、自分の商品に誇りを持っているのでしょうが、お客さんに役立たない商品を押し売りすることは地獄です。
- 飛び込み電話営業アポ → 売込 → 撃沈
の繰り返し。セールストークであることないこと沢山言いましたが、メーカーの場合は商品が全てを物語ってしまいます。サンプルを出してお客さんが評価すれば、全てのメッキが剥がれるのです。
方向性のシフト
押し売りの失敗で方向性のシフトを決定。
優秀な研究員を配置
ちゃんとした商品があって初めて営業マンの力が発揮されるということを学んだ私は、押し売りすることを止めて新商品開発をまじめにやる方向にシフトしようとしました。まずは上司に既存の研究員をクビにする(配置換え)ようにお願いし、新たに使える研究員を配置しました。
上司をクビにした
入社したてのペイペイ社員が使えない上司(当時は課長だった)をクビにしてしまいました。具体的には課長の上司である部長に、この課長がいても役に立たないし、むしろ足を引っ張られているということをアピールして頼み込み、クビ(配置転換)に追いやりました…
結果、使えない上司をクビにしたことで、自分である程度の権限を発揮して仕事ができるようになり、やりたい放題に。ただし、ここで結果を出さなければ自分もクビになるという覚悟を決めました。
振り返ると恐ろしいことです…なんという無茶苦茶な新入社員でしょうか!?
開発の方向性を決める
飛び込み営業で聞いていた潜在顧客の要望を整理して、これなら売れる!!という開発品のコンセプトを考えました。
あとは、配置換えした優秀な研究員がそれに応えてくれることを祈るだけです。
○○業界の権威と組み開発の方向性が正しいことを確認
開発品のメインターゲットにしていた○○業界の重鎮というか、技術なら古いことから新しいことまで何でも知っているという凄い方を、私の営業の師匠である優秀な商社マンに紹介してもらいました。ここで、優秀な商社マンの仕事の進め方を学びます。
化学メーカーは、自分たちの製品の使われ方のことを良く知らないので、新たな製品コンセプトを考えたけど全く間違ったの方向性だった…ということが往々にしてあります。
そこで、潜在顧客と方向性のすり合わせを密にして新素材開発を進めるのですが、お客さんも情報をあまり出しません。結局、業界を引退してコンサルをやっている元技術者・元研究員から情報を買って確認するのです。←これは私のやり方です。
開発品サンプル完成
あらゆる手段(法的にグレーなこともやっていました…)を使って競合と潜在顧客の情報を集め、研究員の尻をたたき、開発品のサンプルがついに完成。バラまきの開始です!
量産化失敗
開発品はラボでつくるため、結構簡単にできます。ところが化学メーカーの一番の悩みは量産化。巨大な工場を使うのでラボで合成できるからといって、量産はできません。
開発品の評価は良好で、お客さんからまとまった量が欲しいといわれた時に、量産化にトライします。で、この開発品の量産化は見事に大失敗してお客さんに怒られました。
最初から出来るとわかっている簡単な商品には価値がなく、開発と生産は常にギリギリなのです。
また開発からやり直し
量産化に失敗するとモノが作れないのですから、どれだけ高性能な商品でも売れません。そして、研究員は性能を多少妥協して量産化できる範囲でのスペックを考えます。最悪の場合にはゼロからやり直しですね。
結局、この開発品はゼロからやり直し、その後も何度か試行錯誤しました。
気づけば2年が経過→営業担当変更
そうこうしている内に2年が経過し私は当時の実績が認められ、晴れて主力商品の担当となり、部署でNo.1の売上げと利益をあげる営業マンになりました。
実績といっても以下のことをやっただけで、実際に売れる商品は私の時代には完成しませんでした。
- 月100時間以上の残業をして、
- ハードに働いて、
- 上司や子会社の社長とバトルして、
- 世界中を飛び回り、
- 開発と生産に首を深く突っ込んで、しょっちゅうバトルして
- お客さんとは仲良くやって、
- 接待費を使いまくって、
- 法的にグレーと思われることもやりました…
たったこれだけのことです。でも化学素材メーカーの営業マンには、ここまで気合の入った仕事をする人がいません。商社マンであれば当たり前のことでしょうが、それが化学メーカー営業マンの現状。
苦労から学んだ3つのこと
優秀な商社マンから営業のイロハを全て学んだ
正直、化学素材メーカーの上司や同僚は、しょぼすぎて何も学ぶことが無いです。そこで私はビジネスの師匠を社外に求めることにしました。
営業マンは、お客さんや商社マン・技術コンサルタントといった社外の人と接点がありビジネスのやり方を徹底的に叩き込まれるので、とても良い勉強になりましたね。
数年で新規素材をヒットさせるのは不可能
ここで同時に、新規素材を開発することが如何に大変かを思い知ることになりました。化学素材メーカーにとって、10~20年の開発期間なんて当たり前ですね。
だからこそホームランが生まれる
10~20年も粘って開発するからこそ、ホームランといわれる新規素材が生まれるのです。モノを作りこむのにこれだけの時間を要するということは、数年で中国メーカーがコピーすることは不可能ということ。コピーしているように見えて、本質では追いついていないのです。