【資産5000万】準富裕層のリアル。FIREは遠く、疲弊した頃の話

サイドFIRE

今回は、僕の資産形成の歴史の中でも、特に重要な中間地点である「資産5000万円」を達成した当時を振り返ってみたいと思います。

野村総研の定義によれば、このステージは「準富裕層」と呼ばれます。しかし、その華やかな響きとは裏腹に、当時の僕は心身ともに疲れ果て、FIREへの道のりの長さに途方に暮れていました。

もうこれのどこが準富裕層なんだよ~、FIREなんて無理ゲーじゃん、と半グレしていましたね。

光と影が交錯する、準富裕層のリアルな景色。Q&A形式でお話しします。

「準富裕層」到達と資産の現実

Q1. 準富裕層(資産5000万円以上)の仲間入りをした時、率直にどう感じましたか?

A. 「何か、やっとかぁ…」という感じでしたね。
投資初心者の頃、コロナショックでジェットコースターのような相場を経験したので、心身ともに結構疲弊していました。なので、達成感よりも「まだまだ先が長いなぁ」という気持ちの方が強かったです。

Q2. 資産3000万円から5000万円まで、どのくらいの期間がかかりましたか?

A. 3000万円を元手に株式投資を始めてから、4年弱で5000万円に到達しました。

Q3. 年間配当金(キャッシュフロー)はいくらでしたか?

A. 年間150万円に届かないくらいでした。利回りにすると約3%ですね。悪くないキャッシュフローだったと思います。

Q4. 配当金のパワーを実感できましたか?

A. はい、配当のパワーは明確に理解し始めました。ただそれ以上に、一日で3%下落すれば、一年分の配当金が簡単にチャラになってしまうという、資産運用世界の怖さも同時に知りました。

Q5. この期間の資産増加の主な要因は何でしたか?

A. 一番大きかったのは、集中投資していたある高配当株が、TOB(株式公開買付)の対象になり、株価が爆上がりしたことですね。
「ひょっとしたらあるかも」とは思っていましたが、これは完全にラッキーでした。1銘柄・たった2日(スト高2回)で800万円ほど利益が出ました。

Q6. 当時のポートフォリオの内訳は?

A. 現金ほぼゼロ、日本の個別株100%です。ETFは持っていませんでした。
さらに、常時1000万円くらいのポジションで信用取引も行っていました。

Q7. 資産5000万円を超えて「自分はもうお金持ちだ」と実感できましたか?

A. いいえ、全く。
上には上がいると思っていましたし、準富裕層といっても、次の日には暴落が来るかもしれない。資産5000万円では、まだまだサイドFIREすらも難しいということを、むしろ痛感しました。

なので、この頃にはもう、ブログ副業をばりばりやっていて月収が給料の何倍もあった頃のように調子に乗って浪費するようなことはなくなり、投資で稼いだお金はすべて真面目に再投資していました。

投資戦略の確立と失敗

Q8. 自分の投資スタイルに確信を持つことができましたか?

A. 「確信に変わりつつあった」という感じですね。
とはいえ、投資の世界ではまだ4年足らずの初心者。まだまだ失敗ばかりしていて、正直に言うと自信満々というわけではありませんでした。

Q9. 資産5000万円でも、まだ信用取引(レバレッジ)は活用していましたか?

A. はい、していました。
5000万円のほとんどが買って放置している株たちだったので、自由にトレードできる現金がぜんぜん足りないと感じていました。なのでレバレッジは有効活用していこうと考えていました。

Q10. 1銘柄にかける投資額は大きくなりましたか?

A. はい。これが3000万円の頃との大きな違いです。
以前は1銘柄50万円といった買い方もしていましたが、「仮に株価が2倍になっても、たかだか50万円の利益にしかならない。それなら、1000万円かけて2倍にして、1000万円の利益を狙う方がよほど効率的だ」と考えるようになり、分散させていたポートフォリオを徐々に集中させていきました。

このときから、より厳しく銘柄を選別するようになりましたね。集中投資の良いところは売買にかかる時間が少なくて済むところです。どうでもよい銘柄にちょこちょこ買いを入れずに済みますからね。

なので日ごろはニュースや企業の決算書ばかり追い、あらたなチャンスを探すいっぽうで、売買頻度はだんだんと少なくなっていきました。

Q11. 配当金の「安定性」で意識したことは?

A. たとえ高配当でも、財務分析や事業の将来性を考えて、減配リスクのある銘柄には投資しない、ということを徹底しました。
例えば、海外で複数の大規模な訴訟案件を抱えるJTは、配当利回りが非常に魅力的でも、僕の基準では投資対象外でした。

Q12. 5000万円を守るためのリスク管理は?

A. 僕の投資哲学は「損をしないこと」なので、常に守りの姿勢です。流行りの株には乗らず、誰も見向きもしない時期にバリュー株を仕込む、というスタイルでした。
いっぽうで、信用取引でレバレッジを掛け、しかも日本の個別株100%というエクスポージャーなので、攻め一辺倒とも言えますね(笑)。

FIREの計算と会社員という生き方

Q13. 資産5000万円で、初めてFIRE(完全リタイア)を具体的に計算しましたか?

A. しましたね(笑)。だけど、どう考えても家族がいるので5000万円でのFIREは無理だという結論になりました。
当時の年間配当は150万円弱。これではとても生活できません。しかも、この頃にはもうブログ副業も辞めていたので、収入源は給料と投資だけ。余計にFIREは難しく感じました。

投資だけで行くなら、なんとなく1億円は必要だろうな。4年で2000万円増やせたから、1億円までは…少なくともあと5年か…」という、漠然とした計算はしていました。

Q14. 年間配当金が増え、会社を辞める選択肢はリアルになりましたか?

A. ぜんぜん。年150万円の配当では家賃すらまかなえないので、むしろFIREへの道のりが遠く感じるようになりました。「どれだけ気の遠くなるような実績を積まなければいけないんだ」と。

Q15. サイドFIREという発想はありましたか?

A. この時点ではありませんでした。会社員は①辞めるか、②続けるかの二択だと思っていたので。
この時にサイドFIREを目指す、という考えがあれば、もう少し気が楽になっていたかもしれません。ただ、そこで気を緩めていたら、今の1億円到達はなかったかも…結果論なのでわかりませんね。

Q16. 会社員を続けることの、精神的なメリットは?

A. 「まだまだ全然足りない。何としても1億円に到達してやるんだ」という固い意志を持てたことですかね。これが精神的なメリットだったかもしれません。

ライフスタイルと価値観の変化

Q17. 生活水準は、3000万円の頃と比べて変わりましたか?

A. はい、浪費は完全に収まりました。
ブログ副業という大きなキャッシュフロー源が断たれていたので、使えるお金は会社員の給料だけ。相変わらず、子供たちの教育費で給料はほぼすべて使い果たしていました。

Q18. 「時間」と「お金」どちらが重要だと感じるようになりましたか?

A. この頃はまだお金でしたかね。
ただ、ブログ副業を辞めて投資にシフトしたら、自由時間がめちゃくちゃ増えました。今まで深夜までブログを書いていた生活が一転し、時間を持て余すようになった。これは本当にありがたかったです。

そもそも相場の空いている時間は仕事していますし(笑)。やりたくてもできないというほうが正しいのかも。

とにかく「これなら無理なく長く続けられそうだ」と確信し、今に至ります。サラリーマンにとって、投資は本当に素晴らしい副業です。

Q19. お子さんへの「お金の教育」は?

A. いえ、まだこの時は自分のことで必死で、教育は習い事や学校に任せきりでした。その重要性に気づくのは、もっと後になってからです。

Q20. 周囲との人間関係で何か経験やトラブルは?

A. 特に深刻なのはありません。お金の話は無用なトラブルを生むので、基本的によほど仲の良い人以外にはしません。ただし金回りが良いのは周囲で見ていてわかるようで、上司とかにナゾに詮索されることはありましたかね。

会社の人たちとは適当な距離をとり、飲み会にも参加しない。口を滑らせる機会を物理的になくす。これが一番です。

次のステージ「富裕層」へ

Q21. 次の目標は資産1億円でしたか?それともキャッシュフロー目標?

A. このステージでは、まだまだ資産額を増やしたいという気持ちが強かったです。配当重視のスタンスに変わったのは、もう少し後のことですね。

Q22. 今、まさに資産3000万円で準富裕層を目指している人に、一番のアドバイスを。

A. あせらず、じっくりと。投資は結局これに尽きます。正しいやり方をしていれば資産は勝手にどんどん増えていくものです。
一生懸命やってもダメな時はダメですし、「休むも相場」という格言の通りだと思いますね。

この記事を書いた人

大手化学メーカー営業。純資産1億円のサイドFIRE投資家。

20代借金300万から副業と資産運用で人生を逆転。30代で資産1億円を達成し会社に縛られないサイドFIRE生活に。

自身の経験を元にサラリーマンが自由を手に入れるための戦略を語ります。

※SNS無し。ご連絡は「お問い合わせ」からお気軽にどうぞ。

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