僕がまだ20代で一生懸命に働いていた頃。心の中にはいつも、ある種の「軽蔑」がありました。
「なぜ、あの“おじさん”は自分より仕事をしないのに、給料は倍近くあるのだろう?」
「なぜ、あんな人が年収1000万円ももらえるのだろう?」
社内を見渡せば、そんな先輩社員が何人もいました。彼らの姿は僕にとって反面教師そのものでした。
…そして、十年後。
今の僕は、会社の若手社員から、まったく同じ目で見られていると思います(笑)。
まさに歴史は繰り返す。あれほど軽蔑していた「働かないおじさん」に、なぜ自分自身がなってしまったのでしょうか?
これは、よくある一般論ではありません。僕が実際に体験し、考え抜いた末にたどり着いた、極めて個人的な物語です。
僕の心が折れ、働き方を変える決意をするまでには、大きく分けて3つのフェーズがありました。
フェーズ1:キャリアへの絶望。サラリーマンゲームの限界を知る
最初は会社という「ゲーム」そのものへの絶望でした。
1. 年功序列に嫌気がさす
20代の頃は、本気で会社のトップに立てると信じていました。事実、同期最速で管理職にもなりました。しかし、日本のほとんどの大企業はいまだに実績の低い社員でも年功序列で昇進させていく、というシステムをとっています。いわゆる終身雇用・年功序列型の雇用ですね。最近は変わってきたとはいえ40代で社長とかは大企業である限り無理ゲーです。どれだけ努力しても、このゲームのルールは変えられません。
僕がまだ若くてやる気もあったころ、自分より仕事できない、結果を出していない先輩社員のほうがはるかに高い給料をもらっているという事実に本当に納得できなかった。
会社のルールを変えることは平社員には到底できないので、気に食わないならば別の方向性をめざそう、会社に頼らない生き方をしようと決め、今日まで準備してきました。
2. 努力と報酬のアンバランス。責任だけが増え、給料は上がらない
年収1000万円を超えると、世界が変わると思っていました。しかし、現実は違いました。深夜まで及ぶプロジェクトを成功させ、過去最高の利益を叩き出した年の昇給額が、月額にして数万円だったのを見た時の虚しさは今でも忘れられません。一方で増えたのは、休日に鳴り響くトラブル対応の電話だけ。自分の時間と健康を切り売りして得られる対価がこれなのか、と愕然としました。
3. 日本企業の限界?人生を賭けてトップを目指すには「夢」がなさすぎた
ある時、自分の会社のIR情報、特に「役員の状況」の欄を冷静に分析してみたことがあります。
すると非常に興味深い事実が見えてきました。あれだけ熾烈な社内競争を勝ち抜いた役員たちの在任期間は意外と短く、その報酬も、彼らが捧げた膨大な時間とストレスを考えると決して高くはない。むしろ、そこに至るまでの派閥争いや運といった不確実性を考慮すると、極めて「割に合わない投資」だと結論づけました。
また、仮に社長になれたとしても、報酬は数億円。米国企業のCEOが数百億円の報酬を得る世界と比べると、あまりに夢がなさすぎる。人生を賭けるには、このゲームのクリア報酬はあまりに低かったのです。
自分の人生という最も貴重な資本を、こんなハイリスク・ローリターンな案件に全力投球する必要はない。僕は静かにそう判断し、できる限り会社での労働時間をセーブし、別の道をあゆむことを決めました。
フェーズ2:人間関係への疲弊。心をすり減らすマネジメントの現実
キャリアへの絶望に追い打ちをかけたのが、日々の人間関係、特にマネジメントでの疲弊でした。
4. 「ハラスメント」という名の地雷原。部下指導で心がすり減った話
良かれと思って、少し踏み込んだアドバイスをした部下から、翌日、上司に「威圧感を感じた」と相談が入りました。もちろん、僕に悪気はありません。しかし、結果として僕は「配慮が足りない上司」の烙印を押されました。何が正解で、何がハラスメントになるのか分からない。まるで地雷原を歩くような毎日に、人と深く関わること自体がめんどくさくなっていきました。
5. 指導を聞かない。なのに「成長できない」と他責にする若手社員に絶望
象徴的だったのが、ある若手との1on1ミーティングでした。こちらが彼の成長を思って時間を確保し、具体的な事例を挙げて「このケースでは、こういう思考ができたはずだ」とフィードバックをしても、当の本人は上の空。相槌は打ちますが、メモを取るわけでもなく、真剣に話を聞いて吸収しようという姿勢は微塵もありません。
それなのに1ヶ月後です。上司経由で「〇〇さん(僕)からは具体的な指導がなく、このままでは成長できる気がしない」と彼が漏らしていた、と耳にしたのです。この時、すべてを悟りました。
彼らは、話を聞いて自ら学ぶという『努力』をしたくない。でも「成長」という『結果』だけは与えてほしい。それが手に入らないと、原因を自分ではなく環境や他人のせいにする。
「育ててほしい」と言う一方で、指導はされたくない。成長しないのは環境のせい。この他責の姿勢を前に、僕は「もう誰にも何も教えない」と達観することを決めました。
フェーズ3:ゲームチェンジ。会社に依存しない生き方の発見
会社への期待も、人への期待も失った僕が、最後に見つけた希望。それが、戦う場所そのものを変えるという「ゲームチェンジ」でした。
6. 「労働所得」より「資本所得」。投資のほうが効率的という“発見”
ある月の給与明細と、証券口座の配当金入金額を見比べた時の衝撃は忘れられません。僕が1ヶ月汗水たらして稼いだ手取り額と、何もしなくても入ってくる配当金の額が、ほとんど変わらなかったのです。この時、はっきりと理解しました。「自分が戦うべき場所は、ここ(会社)ではない」と。
7. 資産1億円を達成し、お金のために働く必要がなくなった
そこからの僕の行動は早かったです。会社でのエネルギーを最低限に抑え、余った時間と情熱のすべてを副業と資産運用に注ぎ込みました。そして数年、ついに金融資産1億円を達成し、いつでも会社を辞められる「サイドFIRE」の状態を手に入れました。この「会社に依存しない」というセーフティネットこそが、僕を本当の意味で自由にしてくれました。今はもう、誰にどう思われようと、何も気になりません。
まとめ
これが、僕が「働かないおじさん」になった偽らざる実体験です。
もし、かつての僕のように、今の若手社員が僕らを見て不満に思うなら、一つだけ伝えたいことがあります。
その怒りや不満のエネルギーは、決して無駄ではありません。しかし、それを会社の理不尽さを嘆くことに使うのはあまりにも、もったいない。僕らのように心がすり減って諦めてしまう必要もありません。
君たちには、僕らの時代にはなかった選択肢が無数にあります。そのエネルギーを会社の外に目を向け、自分の力で稼ぐスキルを身につけるために使ってほしいのです。
そうすれば違う未来をきっと創り出せるはずですから。
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